追悼

もう二年前になるのか…ホイットニーの最後の来日公演@さいたまスーパーアリーナ。
LIVEレポートをするからとはいえ、現時点での私の音楽史上、Top5に入る重要なシンガー。
人生紆余曲折を経て、歌手舞台に再び戻って来たホイットニーの生歌が聴ける喜びに胸を踊らせたものだった。
実際のパフォーマンスは、元に戻ったとはとても言えないものでした。
他誌ではどう書かれているのだろうかと複数見てみたが、歌えなかった部分を除けば、昔と変わらない歌唱でみごと完全復活
のように書かれていて、驚いた。基本、嘘やおべっかや、言ってしまえば観なくても書けるようなレポートならやりたくない派。
ただ、原稿チェックで問題ない感じに穏やかに直されてしまう場合は、仕方なく観念せざるを得ないのだが。そういうこともあって最近は、原稿チェックに感しては事前に確認するようにはしている。
話がそれましたが…、私はウソは書けなかった。が、かと言って酷評もしていない。
ただ、本心を書いた。全盛期、あれだけ歌えていた本人が一番よく分かっているはずだ。思うように歌えないのは、どんなにかつらくて苦しかっただろうと…。
ときどき垣間見えたあの頃の歌声やフレーズが聴けるだけでうれしくて涙が出たし、出ない高音を聴いてもまた泣けてきた。
全体的にキーを低くしてあったが、低音は深みがあって以前よりよかったぐらいだ。
完全復活ではなくても、ホイットニーという素晴らしいシンガーがいて、そしてまた同じ時代に生きられて、復活して来日して生で観たり聴いたりできたことは奇跡だと思えた。
歳を経て、人生いろいろ苦労すると、現れてくるのが歌だと思っている。技術、天性のものとはまた別に。
ホイットニーの場合、技術や天性のものは、今さら私なんかが言うまでもなく素晴らしかった。
当時、後から現れたマライア・キャリーに人気が持っていかれ、ホイットニー派かマライヤ派か?みたいな現象もあったが
私は断然ホイットニー派だった。もちろん嗜好の問題だから、正解不正解があるわけではないですよ。
ただ、私にとっては天から授かったような…美しい歌声のなかでも、明るくて、瑞々しくて、凛々しくて、力強さが魅力的で…震えて感動してました。心の乱され度が大きいと、涙が溢れてきます。
彼女の歌は何百回と歌ってきました。難しくて思うように歌えないから、私にとっては挑戦曲みたいな存在です。
音楽って最初は真似からはいるよね。いいなと思ったら、歌ったり弾いたりしてその世界観に浸るよね。
それをすることで、その楽曲やアーティストに思い入れが強くなるし。難解曲ならリスペクトもする。
そしていずれ、自分がやるならどうしたいか?モノマネじゃなく、自分オリジナルな歌、歌唱ってどういうものなんだろう?どんな歌を歌いたいんだろう?歌えるんだろう?
…そんな気持ちが芽生えます。ホイットニー・ヒューストンは私にそんな気持ちを抱かせた影響力のある素晴らしいミュージシャン。
ありがとう!お疲れさまでした…どうか安らかに眠ってください…。

この記事の著者

副編集長(妻)

めおと編集ユニット「ゲッカヨ編集室」代表。楽譜雑誌「ゲッカヨ(旧・月刊歌謡曲)」の副編集長をつとめていました。

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